線香花火 第09話
食後、小夜と山に行くための支度をする。
麦わら帽子、日焼け止め、濡れタオルとタオル、虫除けとかゆみ止め、水筒に麦茶を入れる。これらを入れるためのリュック。
ほとんど固まった場所にあるので準備はすぐに終わる。
居間で小夜と日焼け止めを塗り、玄関で虫除けをスプレーする。
リュックを背負って、
「それじゃ、小夜、行こうか。」
「待って、お兄ちゃん。」
小夜が僕の腕を掴む。
「お兄ちゃん帽子は?」
小夜が麦わらのひさしから僕を睨む。
「い、いや、今日入らないかなって思ってね。」
僕はとっさに答える。
「駄目だよ。太陽照っているよ。帽子がなきゃすぐに倒れちゃうよ。」
小夜は帽子掛けに掛けている僕の麦わらを突きつける。
小夜の怒りと心配が混ざった目で見つめられ、僕はしぶしぶ麦わらを受け取る。
線香花火 第08話
「お兄ちゃん、ここ教えて。」
小夜が訊いてくる。僕は手を休め、小夜の指している問題を見る。
・・・分数の割り算だ。僕も結構悩んだことがある。
上下をさかさまにする理由がよく理解できなかった。
「これはね、まず・・・。・・・で、」
一つ一つを丁寧に説明する。
「うん。」「うん。」「うん。」
小夜は僕の説明が一つ終わるたびに頷く。
それを確認しながら説明を続ける。
「・・・うん。そっか、こういうことだったんだね。ありがとう、お兄ちゃん。」
小夜に説明し終え、僕は手を休めていた問題に戻る。
今日は五回ほどあった。
「これで今日の分は終わり。」
小夜が元気よく言う。
「もう終わったんだ、早いね。もう少しでこっちも終わるからちょっと待ってね。」
「うん。」
小夜は頷く。僕は今日の分をサッと終わらせる。
「ふぅ、終わった。小夜、うどんとそうめんと、どっちがいい。」
小夜は少し悩む。そして、「今日はそうめんがいい。」と言った。
「わかった。すぐにできるから待っててね。」
台所へ行きそうめんを出す。
鍋にお湯を張り、火にかける。
お湯を沸騰させている間で、束になっているそうめんの端を糸で結びそうめんが絡まないようにする。そして、沸騰したお湯の中にいれる。茹で上がる間に器を用意して氷を入れておく。
いよいよ茹で上がったら結んでおいた場所を菜箸で掴み取り束のままでまな板にのせる。
結んでいるところを包丁で切り取り、一口でちょうどいい分量で器にのせる。間隔をあけてそうめんどうしがくっつかないようにする。
最後に冷蔵庫から作り起きのめんつゆを出しガラスの器に注ぐ。
「いただきまぁす。」「いただきます。」
今日は山に行くのでいつもよりも早く数分で食べ終わった。
線香花火 第07話
翌朝、僕は目が覚めた。
横にはまだ寝ている小夜がいる。
いつもの朝だ。僕が早く起きてご飯の支度をする。
いつものように、僕は背伸びをする。そして、シャワーを浴びてから小夜を起こす。
「朝だよ、小夜。」
ゆっくりと小夜を揺すりって起こす。
「ん〜。おはようお兄ちゃん。」
「おはよう小夜。シャワー浴びておいで。」
と言って小夜にバスタオルと着替えを渡す。
「今日のご飯はなに?」
「トーストにベーコンエッグとサラダだよ。」
「ふふ、おいしそう。じゃ、浴びてくるね。」
そう言って小夜はシャワーを浴びに行く。
小夜がシャワーを浴びている間に僕は朝食の用意をする。
食パンをトースターに入れ、野菜を切ってボウルに入れる。
目玉焼きが半熟になるようにしながら、横でベーコンをギリギリまでカリカリに焼く。目玉焼きを皿に乗せ、その上にベーコンを乗っける。僕はこのベーコンエッグが好きだ。ベーコンとエッグだと前に言われたときがあったけど、こっちのほうが数倍おいしい。
そして、トースターでパンを焼き始める。
この順番でやると小夜がここに来る数分前に準備ができる。
「お兄ちゃん、あがったよ。」小夜がやって来る。
小夜が来てから冷蔵庫の中から牛乳とバター、りんごジャムを出す。
そして、トースターから焼けたパンを出す。
「今日もりんごジャムでいいかな。」僕は小夜に訊く。
「うん、それがいいよ。」
小夜に渡すパンにりんごジャムを塗る。全体に満遍なく塗った後に小夜の皿に乗っける。その後で僕のパンにバターを塗る。
「じゃ、いただきます。」「いただきまぁす。」
小夜はまっさきに卵に手を付ける。
黄身を箸で割り、中から出てきたトロトロの黄身を白身に付けて食べる。
「うん!今日もおいいしいよ、お兄ちゃん。」
小夜は僕に向かって笑って言う。いつもこの笑顔を見る度に、これが天使の微笑みなんだろうなって考える。
「そっか、そう言ってくれると嬉しいよ。」
そうして、僕も朝食に箸をつける。
ベーコンを口に運ぶ。今日はちょっと焼き過ぎたな、と自己反省をする。小夜は僕の作った朝食をどんどん食べていく。
卵の後は、ベーコンを黄身に付けて。トーストを端から。サラダに三日前に小夜が作ったドレッシングをかけて。
新しい料理に口を付けるたびに僕に向かって、
「おいしい」と言う。
「小夜、トマトが残ってるよ。」
すっかり食べてくれた皿にポツンと赤いトマトが乗っている。
「もうお腹いっぱいだよ。」
小夜は僕から目をそらして言う。
「トマトが残っているよ。」再び僕は言う。
「うぅ・・・。」
「残っているよ。」僕は言う。
「もう、お兄ちゃんのケチ。」
そう言うとトマトを口に放り入れた。
「はい、今日はこれ。」
小夜の前にとろけるプリン(大)を出す。
「わー、今日はこれなんだね。」
小夜はこれを見た瞬間、顔が輝いた。
「はい、スプーン。片付けてるから食べ終わったら持ってきてね。」
「あ、ちょっと待って。」
小夜は僕を引き止める。
「はい、お兄ちゃん、これ。」
小夜はスプーンに乗せたプリンを差し出す。
「いいの?」
「うん。」
僕は小夜のスプーンから食べる。
「うん、おいしい。ありがとうね、小夜。」
そう言って僕は食器を片付ける。
と言っても洗うのはいつも夜にまとめてやることにしている。
今は軽く水で洗ってプラスチックの桶の中に沈めておく。
食器三皿を桶に入れて、フライパンを洗う。
フライパンだけはいつも洗っている。
固めのナイロンスポンジで表面を洗い、その後火にかけて乾かす。
一度、これをやり忘れて酷く焦げ付かせたことがあった。
フライパンの手入れが終わったところで小夜がスプーンとカップを持って来た。
僕はそれを受け取り、スプーンは桶に、カップは軽く残っているカラメルを流してからゴミ箱に入れた。
「さて、それじゃ宿題やっちゃおうか。」
「うん、お兄ちゃん、分からないところがあったら教えてね。」
「ああ、分かってるよ。」
線香花火 第06話
「ただいま。」「ただいまぁ。」
そろって声を上げた。
玄関の鍵を閉めて、電気のスイッチを入れる。
寝ていた家を起こす。
両親はいない。二人とも僕らをここに残して海外に出張している。
昔から二人とも留守にすることが多かったため、家事は物心付いたときから母に教わっている。今ではもう慣れた。
そのせいか、小夜を育てたのはほとんど僕だったりもする。
「小夜、留守電に何か入ってる?」
僕は小夜に訊く。僕と小夜は役割を分けている。留守電の確認もそのうちの一つだ。
「お父さんから来てるよ。仕事が長引くからあと一ヶ月は帰ってこれないって。」
「そっか、まだ忙しいんだな。」
確認をし終えた後、いつも小夜は留守電をじっと見る。
僕にはその行為の意味がわかる。そして、分かるがゆえに僕は淋しい気持ちになる。
「小夜、今日はもう遅いから寝るよ。」
僕は小夜に言う。小夜はためらうように「うん。」とだけ言った。
昔造りの平屋のため、僕らはいつも布団を敷いて隣り合って寝ている。開いている部屋はあるがつくりが古いせいか小夜が怖がって一人では寝ようとしない。
横になって小夜が言った。
「お兄ちゃん。」
「なんだい、小夜。」
「今日もお兄ちゃん、手繋いで。」
二人で寝るときはいつもこうしている。わざわざ訊かなくてもいいのに小夜はいつも訊いてくる。
「いいよ。」と言って僕は小夜のほうに手を渡す。
「ふふ、お兄ちゃんの手あったかい。」
小夜の温もりが僕の手を伝う。
ちょっとでも風が吹けば消え落ちてしまう線香花火。それとよく似た。それよりも儚い温もりがそこにはあった。
しばらくして小夜が言った。
「お兄ちゃん、寝ちゃった?」
僕は小夜のほうを向いて言う。
「いや、起きてるよ。」
小夜は天井を見ている。
「夏休み、あと何日かな?」
僕は数える。小夜と過ごした日々を思い出しながら。
「あと十七日ぐらいかな。」
小夜は今までの日々を確かめるように。そして、これからの日々を思うように頷きながら残りの時間を確かめる。
「あと十七日・・・。もう、そんなにたったんだね。」
「ああ、今年の夏は二人っきりだったからね。」
僕は回想する。両親から今年の夏は小夜と二人っきりだと言われたことを。小夜と笑った日々を。小夜をなかせた日を。
僕はこの夏が、これまで生きてきた中で一番の夏になっていることを思う。小夜と一緒に過ごした日々を自分の記憶にとどめる。
「お兄ちゃん、明日は山のほうに行こうね。」
「わかった。朝早く起きて宿題済ませてからね。」
「うん、それじゃおやすみ。」
「おやすみ、小夜。」
僕は小夜が寝静まるまで天井を見ていた。
横から寝息が聞こえてくるのを確認し、僕はゆっくり目を閉じた。
ほのかな温もりを手に感じながら。
線香花火 第05話
「なんで、線香花火しかやらないの?」
小夜はちょっと悩む。そして、言葉を選びながら答える。
「んー、なんかね、普通の花火はね、シューっとして、すぐに終わっちゃうけど、線香花火は、ゆっくり、パチパチみたいって、なって、いるからかな。」
「そうなんだ。小夜らしいね。」
僕は小夜を見て微笑む。
「それにね・・・」「うん?」
「・・・ううん、やっぱりいいや。」
小夜はよくこんなことを言う。自分の宝石箱の中身を大切に隠すように、出かけた言葉を自分の中に留める。
「それにね、の続きは?」
「ううん、いいの。」
小夜は目を伏せて口を閉ざす。
「なんだよ、教えてよ。」
僕は小夜から答えをほしがる。答えてくれないのは分かっている。
けれども、やはり訊かずにはいられない。
「ふふ、秘密だよ。」
そう言って小夜は僕の腕に体重をかける。
「小夜、重いよ。」
「大丈夫だよ、お兄ちゃんは力持ちだもん。」
僕らは歩く。二人で一緒に。
「お兄ちゃん、また線香花火やろうね。」
「ああ、やろうね。」
線香花火 第04話
帰り道、小夜は僕の左腕を掴んだまま離さない。
小夜は僕の顔をじっと見つめてくる。
僕がそれに気付き、小夜のほうを見るとあわてて前を見る。
「どうしたんだい、顔に何か付いていたかな。」
歩みを止めて小夜に聞く。
「んーん、なんでもないよ。」
小夜は、はにかんで言う。
「そっか、ならいいけど。」
わかっている。小夜が僕の顔を見る訳を。だけど僕はそれを口にはしない。今の、この状態が愛しいから。
空には白い三日月。無数の星がきらめいている。
街頭に光はない。けど、全然暗くなんてない道を僕達は歩いていく。
しんと静まり返った夜。僕らの足音だけが夜空にこだまする。
僕の腕には小夜の温もり。
「なぁ、小夜。」
僕は小夜に訊く。
「なぁに、お兄ちゃん。」
ゆっくり歩きながら小夜の顔を見る。
「なんで、線香花火しかやらないの?」
線香花火 第03話
急に風が吹き、線香花火の玉が落ちた。
「・・・。」
小夜は黙って線香花火の先端を見る。
「風のせいだよ。小夜は悪くない。」
小夜は僕の目を見る。
「ほんと?」
「ああ、風のせいだよ。小夜は悪くないよ。」
小夜はうなずく。
「待ってな、また火を付けるから。」
僕は花火の袋に手を伸ばす。
「あっ・・・。さっきのが最後だったんだ。」
花火の袋の中には線香花火は残っていなかった。
「線香花火、なくなっちゃったの?」
小夜は花火の袋を指さして言う。
「うん、そうだよ。あれが最後の一本だったみたい。どうしよっか?他の花火なら残ってるけど。」
僕は小夜の目を見る。
「ううん、線香花火じゃなきゃ、いや。」
「そっか、じゃぁ今日はこれまでだね。」
僕は立ち上がる。燃えカスの入ったバケツを手に取ると、近くにあるゴミ箱に燃えカスを捨てに行く。
「待って、小夜も行く。」
そう言って、あわてて立ち上がり僕の左腕を掴む。
「おいおい、危ないよ。」
僕はあわててバケツを持ち替える。
「お兄ちゃん。また今度、花火やろうね。」
僕は水を流した後、ゴミ箱に燃えカスを入れる。
そして、ゆっくりと小夜を見て、
「ああ、また一緒に花火やろうな。」と言った。
線香花火 第02話
パチ パチッ パチ パチ パチッ
線香花火が燃える。光が拡散し、やがて落ちる。
「あーあ、落ちちゃった。」
小夜が言う。
「ねぇ、もう一回、もう一回。」
小夜が僕の腕を掴んでねだる。
僕は持っていた線香花火の燃えカスをバケツに入れ、花火の袋から線香花火を取り出した。
そして、そっと小さなロウソクで火をつける。
パチ パチ パチッ パチ
また、線香花火が燃える。
パチ パチチ パチッ パチ パチ
線香花火の花が咲く。
「わぁー。綺麗だね。綺麗だね。」
はしゃいで言った。
「ああ、綺麗だね。」
僕は言う。
線香花火をそっと小夜に手渡した。
「ゆっくり、慎重にね。」
「うん、わかってるよ。」
小夜は慎重に僕の手から線香花火を受け取る。
「あっ・・・。」
急に風が吹き、線香花火の玉が落ちた。
線香花火 第01話
ちりーん ちりーん ちりーん
今年もまた風鈴の音色が涼しい季節が巡ってきた。
私はこの音を聞くと、いつもあのことを思い出してしまう。
夏は、あの思い出を語るには長い。
私の心に焼き付いて、この季節になるといつも心に雨を降らせる。
悲しい、とは感じなくなった。ただ、心のどこかが抜け落ちているような、心が丸ごと抜け落ちてしまったかのような、魂を過去に置き忘れてきたかのような感覚がする。
私の時計はあのときのあの時間のままで止めている。これは自分で自分にかせた罪の証だ。そして、この時計と同じように私の時間もあの時のまま、もう動かない。
輪廻が本当ならば、もし、次の人生が選べるというのなら、どうか小夜に幸せな人生を・・・。
